社会人1年目の10月から社会人3年目の1月までの約2年半、GGハウスのシェアハウスを利用して2年半ほど一人暮らしをしました。
2年半のシェアハウス生活を終えて、振り返りをしていきたいと思います。
はじめに:だやの2年半のシェアハウス生活について
まずは僕が「いつ」「どこで」「どんな」シェアハウスに住んでいたのかを紹介します。
だやのシェアハウス歴について
3件のシェアハウスを利用しました。
・2020年10月~2021年8月:赤羽のシェアハウス
・2021年8月~2022年7月:聖蹟桜ヶ丘のシェアハウス
・2022年7月~2023年2月:見沼代親水公園のシェアハウス
だやが利用していたシェアハウス管理会社について
GGハウスのシェアハウスを利用していました。
・初期費用0円で一人暮らしができること
・築浅物件であることから、概ね物件全体が綺麗であること
上記2つが、GGハウスのシェアハウスを利用しようと考えた理由です。
だやのシェアハウス生活~赤羽編~
2020年10月より、赤羽のシェアハウスで一人暮らしを開始しました。
シェアハウスに住む前は実家暮らしをしていました。「社会人になったしそろそろ実家を出よう!」と考えたことがシェアハウスで一人暮らしをした動機です。
僕が入居したときは、僕以外に1人しか住んでいませんでしたが、あれよあれよと入居する人が増え、いつの間にか満員に。気が付けば、10人で一つの屋根を共有していました。
思い出①:通勤が大変だった
赤羽に住んでいた頃は府中勤務だったため、通勤時間はそれなりにかかっていました。
当時はリモートワークもできない現場だったため、毎日往復2時間ちょっとかけて通勤していましたね。
今振り返れば「なぜ赤羽に住もうと思ったのか」謎です、、、職場からも遠いですし、わざわざ一人暮らしして赤羽に住むメリットはなかった気がします(笑)
赤羽駅から職場の最寄り駅まで電車で45分。赤羽駅から徒歩20分弱の場所にあるシェアハウスに住んでいたため、今振り返ると「もう少し職場に近いシェアハウスに住んでいれば、、、」という思いもあります。
平日はだいたい以下のような生活をしていました。
・朝:7時25分に家を出て職場へ向かう
・夜:19時頃赤羽駅に到着。3日に1度、赤羽駅西口にあるイトーヨーカドーの食品売り場で食料を購入。
幸い通勤に関しては、ラッシュと逆方向だったため着席することができ、そこまで苦痛に感じませんでした。
思い出②:友人がたくさんできた
赤羽でのシェアハウス生活を通して、沢山の友人ができました。
同年代で同じ職業の友人と一緒に、赤羽の居酒屋へ行ったり、部屋に集まってご飯を食べたことは良い思い出です。
彼らとは未だに連絡を取り合っていますし、ご飯に行ったりもします。赤羽のシェアハウスに住まなければ、こうしたご縁はなかったと思うと、大事にしなきゃだなと感じます。
思い出③:便利な街だった赤羽
赤羽に住んでみて実感しましたが、赤羽はとても便利な街でした。
飲食店はもちろん、買い物できる場所も豊富にあることから、不便な思いはしませんでしたね。
路線も京浜東北線、上野東京ライン、湘南新宿ライン、埼京線と4路線も利用できたので、遊びに出かけるときも非常に楽ちんでした。
だやのシェアハウス生活~聖蹟桜ヶ丘編~
2021年8月、赤羽から聖蹟桜ヶ丘のシェアハウスへ引っ越しをしました。
引っ越しした理由は「もっと職場に近い場所に住んだ方が楽」だと考えたから。
いつも通り赤羽から会社に向かっていた2021年6月の朝、ふと「GGハウスで職場に近い物件を取り扱っていたりしないかな」と思いつきました。
調べてみたところ、職場まで直線距離3kmの物件が、、、!しかも今住んでいる場所よりも家賃が月額5,000円も安い!
引っ越さない理由がないことが分かったため、その日のうちに管理会社へ引っ越しすることを連絡。手続きを行いました。
引っ越し当日は土砂降りの雨で大変だったことを覚えています。
思い出①:通勤が楽ちんになった
職場から近い場所へ引っ越ししたため、通勤がとても楽になりました。
出勤時間が40分繰り下がった結果、自由に使える時間も増加。QOLも爆上がりしました。
自転車を購入して、自転車通勤もするようになりました。帰り道に中河原駅前にあるライフで炊き込みご飯に使う材料を購入したことは良い思い出です。
思い出②:新しい出会いがあった
聖蹟桜ヶ丘のシェアハウスでも、様々な出会いがありました。
毎日朝から晩までカレー屋さんで働いているネパール人、都内の大学に通う日本人学生、ベトナム人学生、、、
彼らとの出会いもよい思い出です。
だやのシェアハウス生活~見沼代親水公園編~
2022年7月に再び引っ越しをします。
2023年8月から転職したため、それに伴い勤務地も変更。自宅と新宿区のオフィスが主な働く場所になりました。
勤務地が府中ではなくなったことから、彼女の家からも遠く、都心から少し離れている聖蹟桜ヶ丘に住む理由がなくなりました。
次の引っ越し先は、足立区の日暮里舎人ライナー沿線です。
ここに住んだ理由は、GGハウスが管理している物件の中でも家賃が最安値であるから。
前の会社と異なり、毎日出社する必要がないため、職場に近い場所に住むことよりも家賃が低い場所に住むことを優先。結果、聖蹟桜ヶ丘に住んでいた頃よりも、毎月の家賃が10,000円低くなりました。
思い出①:外国人エンジニアとの出会い
見沼代親水公園のシェアハウスでも、様々な出会いがありました。
毎朝共用部分の掃除や筋トレをしている外国人の友達ができました。
彼は日本語も堪能。日本の企業に就職し、エンジニアとして働いている努力家です。
毎朝ご飯を作るためにキッチンへ行くと、よく彼と会いました。ほぼほぼ毎日会っていた時のことが懐かしいです。
思い出②:スーパーベルクス
よく行っていたス―パーベルクス。食料品が安く、愛用していました。
仕事帰りに寄ったり、在宅勤務の日は昼休みに買い物に行ったりとしていました。
思い出③:3路線を使いこなした
少しでも交通費を節約するために、竹ノ塚駅まで20分以上歩いて日比谷線を利用したり、JRを利用するために自転車で川口駅や赤羽駅まで移動するなど、日暮里舎人ライナー以外の路線も利用していました。
自宅から10km離れた京成線の駅まで行ったこともあります。
常識離れしたことをしていたと思いますが、それはそれで良い思い出です。
まとめ:シェアハウスで過ごした2年半は財産です
今回は「2年半のシェアハウス生活を終えて」というテーマで記事を書きました。
様々な出会いと別れ。自分で試行錯誤して編み出した節約術・生活術。通勤通学のために毎日通っていた道。
全てが懐かしいです。
結果論ですが、シェアハウスでの2年半は本当に楽しかったです。
大変ありがたいことに、大好きな彼女と一緒に同棲するためシェアハウス生活は終了しましたが、シェアハウスのおかげで、充実した、コスパ最高の一人暮らしをすることができました。
この経験を糧に、同棲生活も楽しい生活にしていきます。
今回は以上です。
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